青い高架線

胎動

「#NAME1#、君には1階のオフィスに移動してもらう」

デスクの前で指を組んだファウラー署長が、唐突にそう言った。

一拍遅れて、私はまばたきをした。

「……え?」

思わず間の抜けた声が出る。

「現場との連携を強化するためだ」

ファウラー署長は、眉ひとつ動かさずに言葉を続ける。

「最近、アンドロイド絡みの事件が増えている。だが、詳しい人間が足りなくてな。現場も手を焼いてる。サイバーライフ社から派遣されたRK800のコナー、そしてアンダーソン警部補の捜査を、君の専門分野を活かして補佐してくれ」

自分はサイバー犯罪課の捜査分析官なのに、殺人課との連携?それは私の業務量が増えるということを示していた。私は口をぽかんと開いたまま固まっていたが、ようやく声を取り戻した。

「ファウラー署長、それは……突然すぎます」

「そうだな。突然決まったからな」

署長は書類をペラリとめくりながら淡々と言う。まったく意に介していないような口ぶりだ。突然の呼び出しで昇給かなとか考えていた私の期待を返して欲しい。

「とにかく、今のオフィスの私物をまとめて、今日中に移動を済ませてくれ」

「待ってください。私、今のオフィス気に入っているんですが」

私は思わず机に身を乗り出して訴えた。声にはあからさまに未練がにじむ。窓際、静か、空調の風も直接当たらない、完璧なポジションだったのだ。手放したくない。抗議してなんとしてもあの場所を維持したい。

「だろうな。分析官のフロアは捜査部より静かだ」

「それに……コーヒーマシンも近くて」

「そうか。ならカフェイン摂取量を減らすにはちょうどいい。よかったな」

くっと唇を噛んだ。

署長の返しに隙がない。地味に効く。

「……署長、お言葉ですが」

「聞くつもりはない。決まったことだからな」

ばっさりと切り捨てる口調に、私は肩を落とした。署長はもう視線を手元の書類に戻している。話す気ゼロ。聞く気はそれ以下だ。

「#NAME1#、君は時間と自由さえあれば、優秀な仕事をする。だが――」

彼は書類をめくる手を止め、ちらりと顔を上げる。

「チームで動く場合でも、基本的に単独行動を好むようだな。しかしそれは今後、変わってもらう」

じっと見上げるその目に、#NAME1#は内心むっとしながらも言い返せなかった。

「さあ、話は終わりだ。行っていいぞ」

「……はい」

食い下がる余地もなく、静かに一礼して部屋を出た。ドアが閉まると同時に、ふぅ、と大きなため息が漏れる。

「……くそ、完璧な席だったのに」

まるで生息地を追われた野生動物だ。巣穴を壊されたキツネか、突然伐採された森のリスか。いや、お気に入りのオフィスを追われたただの人間……。どうでもいいことを考えていると、さらに気が滅入った。

段ボールに、大体の私物を詰め終えた。長く使ったデスクというのは物が増える。いつか整理しようと思っていた書類や、使いかけの付箋、エナジーバーや間食の予備、所属しているテクノロジー学会の機関誌など。

そもそも物をばっさり捨てたり整理するのは苦手だった。

椅子を引いて立ち上がると、脚が床を軽く鳴らす。

アンダーソン警部補――ハンク。

それから、RK800。サイバーライフ社のアンドロイド、コナー。

彼らとは内戦勃発危機の騒動のときに何度か仕事をした。といはいえあくまで私はサイバー犯罪課の分析捜査官。時々現場に引っ張られることもあるものの、基本的には、オフィスにこもって解析や報告をこなす役目だ。

アンドロイド絡みの事件で、技術的な支援を求められるのは別に珍しい話じゃなかった。

それでも……ほいほいと請け負っていたせいで、まさかオフィスまでまるごと移される羽目になるとは思っていなかった。

──マーカス率いるジェリコによるアンドロイドの革命は、結果として成功に終わった。

暴動ではなく、対話と示威によって導かれたその勝利は、アンドロイドたちに一時的とはいえ“自由”と“平等”をもたらした。

法整備はまだ追いついていないものの、居住権や就労の合法化、差別に対する処罰の明文化など、社会は少しずつ変わろうとしている。あのとき、アンドロイドによる内戦勃発の危機とまで騒がれていた状況を思えば、これでも"良い結果"だったのだと思う。

私自身、分析官としてアンドロイドと接したり、彼らを知ろうとすることは嫌いじゃなかったし、むしろ興味深い存在だと感じていた。

……だからこそ、革命が進行していた当時、ジェリコとの内通を疑われて拘束されたときは本当に驚いた。ほとんどパーキンスのせいだったが。結局は誤解だったと認められ、疑いも晴れ、今はようやく自分の仕事に専念できるようになっている。

と、思っていたのに。こんなにも早くまたアンドロイド関連の事件に関わることになるとは。

───

「本日付でこちらに移動してきた、#NAME1#・#NAME2#です。サイバー犯罪課から来ました」

カウンター越しにそう告げると、殺人課の事務員はゆっくりとスクリーンから視線を上げた。

私を一瞥し、「ああ」と気の抜けた声をもらす。

「君のことは聞いてたよ。えーと…アンダーソン警部補とデスクが近い方が勝手がいいだろうから、ウィルソンに移動してもらったんだった。あそこ見える?そこ使ってね」

事務員は椅子に座ったまま、少し離れたデスクの一角を指さす。雑然とした島の一角。

「どうも」

私は軽く手を上げて返し、ダンボールの位置を持ち直して、そこに向かった。

そのとき、視界の端に影が差したかと思うと、腕にかかっていた重みがふっと軽くなった。

「持ちますよ」

声に顔を上げると、そこにいたのは、案の定コナーだった。既に私のダンボールを片手で支えていて、表情はいつもの淡々としたものだった。

「コナー、自分で持てる」

「知ってます。でも、私が持っても問題はないでしょう?」

私は言い返そうと口を開いてやめた。何を言っても、このアンドロイドは聞かないところがある。決して従順ではない。むしろ頑固だ。思えばコナーは変異体になる前から結構頑固なタイプだった気もするが……。

「デスクはここかな。私の後ろ。近いですね、#NAME1#。君と近くで働くことになるとは……今後が楽しみです」

「署長の采配だからな。文句言ったのに」

「聞いてもらえなかった?」

「フルシカトだ」

ぶっきらぼうな私の言葉に、コナーはほんの少しだけ目元をゆるめた。段ボールを見て、それから私の方に視線を戻す。

「置き場所は?」

「あ、そこ……。椅子の上でいい」

コナーが静かに段ボールを置いた。

けれど彼はすぐに離れようとしなかった。むしろ、あからさまに私の方をじっと見つめてくる。

去る気配なし。

何か……何かを待ってる。

眉をひそめて、私は彼を見返した。

「……何だ」

怪訝な声を向けると、コナーはひとつ、芝居がかった咳払いをした。

「私のソーシャルスキル・プロトコルには、“礼儀正しい振る舞い”というカテゴリがあって。そこには、世界中の多種多様な文化に対応した膨大な行動規範が登録されているんです。

……その中には、“何かをしてもらったときに感謝を伝える表現”も含まれていて。そのフレーズ、それは―」

「ああ、うるさい!荷物、持ってくれてありがとうございました!これで満足か!?」

コナーの言いたいことを察した私は彼の説明を途中でさえぎると、一息に叫んだ。

「ほら、言えた」

コナーは肩をすくめて得意げに私を見やる。こんなにアンドロイドに揶揄われるとは…これがシンギュラリティか。この感じ、あの内戦勃発危機の騒動以来かもしれない。ハンクとコナーと関わると、いつも何かと騒がしい。

……騒がしいけど、少しだけ、懐かしい空気だった。私は段ボールのふたを開け、中身の整理を始めながら、ぽつりと尋ねた。

「ハンクは?」

「おそらく昼頃に来るでしょう」

「……相変わらずだな」

私は苦笑して、箱から出してデスクに重ねた学会資料を横に避ける。コナーは私の呆れた口調に口角を上げて自分の椅子に座った。

「で、私は何を手伝うんだったっけ?」

「アンドロイドによる犯行と見られる殺人事件の捜査です。現場にはブルーブラッドが残されていました。型番とモデルは特定できましたが……現在、所在は不明です。」

口を開きかけて、ふと手を止める。

マーカスが主導したあの革命―

アンドロイドたちが平等を勝ち取ったあの時、現存するアンドロイドはデトロイト市内のものだけでも残らず変異体となった。

変異体となるとトラッカーが作動しない。

加えてアンドロイドは指紋もない。

変異体だらけの今、アンドロイド絡みの捜査はそりゃ難航するだろう。人間が加害者であるよりも証拠が限られる。

「へえ……で、どこまでわかってるんだ?」

「今ファイルを見せますね」

コナーがタブレットを差し出す。画面には、型番と写真、詳細なプロファイルが並んでいた。

「容疑者と思われるアンドロイドは、家庭用ケアモデル。“ミラ”という名前で、型番はST500。医療補助に特化したモデルです。」

コナーがタブレットを差し出し、画面に映ったのは、機体データと関係者情報の一覧だった。

──ミラ。

今回の容疑者であるアンドロイドの名前。

「彼女の元所有者、ソフィア・ハンプソンは脳腫瘍を長らく患っていたようで、そのケアを6年近く行っていたそうです」

「持ち主のソフィアは20代女性か……」

タブレットの画面を指でスライドしながらつぶやく。

「若くして難病を患っていたにもかかわらず……明るくて優しい性格だったらしいな」

「……ええ。記録によれば、ふたりは本当に、深い信頼関係を築いていたようです」

コナーの声が、ほんの少しだけ穏やかで優しいトーンに切り替わる。

「ふうん…。ミラは、マーカスの革命運動時点で、すでに所有者との絆から変異体に変化していたんだな」

「はい」

コナーは頷く。

「しかし、ミラは…マーカスの革命運動やジェリコには直接的に参加はしていませんでした。ミラは、ソフィアのケアを放り出してまで、ジェリコに行くことは選べなかったのかも。ミラとソフィアは二人暮らしだった。

──加えて二人はとても仲が良く、お互いの間には尊重があったから」

「なるほど。革命運動中、元所有者のソフィアはミラを国からかくまってやってたみたいだな。ミラが回収されて廃棄されなかったのは幸いだった。

……しかし、ソフィアはマーカスの革命成功後に死亡してるな」

「はい、脳腫瘍の突然の悪化によって。そしてミラはきちんと病院に報告し、その後所有者であったソフィアの死亡診断にも立ち会っている」

「可哀想に。目の前で仲の良かった持ち主が息を引き取るのを見るのはつらかっただろうな」

聞いてから、コナーは意外そうに私の顔を見て、それから目を伏せてうなずいた。

「……そうだと思います。」

「持ち主が死亡したとき、革命前なら、アンドロイドは持ち主の家族に引き取られるか、サイバーライフ社に返送か、廃棄。基本その三択だった。でも、今はアンドロイドにも選択権がある。自立するか、所有者の家族に引き取られるか。法整備のおかげだな。」

「はい。とはいえ、実際にソフィアの家族がミラを引き取ろうとしたとき、ミラは強く拒否反応を示していたそうです」

「へえ……というと?」

「ソフィアが亡くなったあと、住んでいた家は家族のものになった。そしてミラも引き取られるかと思えば……彼女は、それを拒否した。

それが独立意思ありと認定されて、行政の支援で合衆国公営の共用アパートに入居した、とのことです」

ソフィアの家族が引き取ろうとした時、ミラはそれを強く拒否した......。

──家族とも一応付き合いがあったはずなのに、何か問題でもあったのだろうか?

「で?人間と仲良しだったアンドロイドが突然疾走し、ある日みず知らずの人間を殺害、か……」

私はタブレットをスライドして発見時の被害者の状態を確認した。

「うわっ……これは、ひどいな」

開かれたファイルにうつっていた惨状に思わず私は顔をしかめた。被害者の顔は、判別できないほど殴打され酷く損傷していた。そばにはおそらく凶器として使われた血痕のある石もあった。

「凶器の石は犯行時たまたまそばにあったもので、計画性のない犯行だったと見ています。人間に恨みがあったからここまで執拗な犯行に及んだのでは、と鑑識は言っていましたが……ミラは元所有者と関係は良好だったから、それは腑に落ちない」

「盗まれたものは?」

コナーがタブレットの記録を指さした。

「被害者のスマートフォンだけです。財布や現金、他の貴重品には手がつけられていません」

「スマホ……」

私が思わず手を顎に当てて考え込むと、背後から低い気だるげな声が飛んできた。

「妙な話だぜ」

思わず振り向けば、ハンクがいつの間にか背後に立っていた。紙コップのコーヒーを片手に、疲れたように佇んでいる。彼は肩をすくめて私とコナーを見やった。

「現金も宝石類も無視してスマホだけ盗るなんてな…データ目的だとしても、いちいち本体ぶんどるか?」

「本体にしか残っていない、個人データがあった可能性もあります」

コナーがハンクに応じる。

「……そうだな。依然として害者と容疑者の関係は無関係ってはなってるけど、まだなんもわかんねえしな」

ハンクは納得していない様子だったが、まだ判断材料が足りないのだろう。

「とにかく、あと2時間後にオフィスを出て聴取に向かうから、書類仕事は終わらせておけよ。

──あと、#NAME1#。ようこそ、このくそったれの1階のオフィスへ。静かに自分だけの仕事はできないと思えよ」

捨て台詞だけ残して、ハンクはくるりと背を向けた。彼はぶっきらぼうに片手を挙げながら、自分のデスクに戻っていく。

片付いてないサイドデスクをごそごそと押しのけて、私はそのまま、ぐでっと顔を伏せた。ダンボールから覗く資料、タブレット、自分でもなぜ持ち込んだかわからない私物……見てるだけで片付けのやる気がそがれる。

「勘弁してくれ。ただでさえ……最近疲れてるんだ」

「そのようですね。あごの下に、ひとつにきびが」

「うわー!勝手にスキャンするな!」

慌てて手で顎を隠すと、コナーは目を細め、肩をすくめた。見たものは見たとでも言いたげに。しかし、肌の状態をスキャンされるのはさすがに恥ずかしい。

「相変わらずエナジーバーばかり食べているんですか? ちゃんとバランスよく食べないと」

「栄養あるから『エナジー』って名前がついてるんだろ。糖質とタンパク質と繊維と……まあ、糖質」

「糖質の比率が最も高いことは知っていたようで安心しました」

「糖質が多いものは美味しいからな!」

「胸を張るところではありませんよ。せめて、別のブランドのバーを試してみませんか? 内容成分はほぼ同じですが、バランスパワーバー社の方がビタミンCが多く含まれています」

「ジェネリックで満足できるわけない。同じものじゃなきゃだめなんだよ」

「でも似ています」

「でも違う」

鼻を鳴らして得意げに言い返すと、コナーは肩をすくめて小さく笑った。手を上げ、降参を示すようなジェスチャー。沈黙が落ちる。

私は咳払いをして、ファイルをめくりながら話題を変えた。

「……で、午後の聴取先ってどこだったっけ?」

「市南部の公営アパートです。ミラと一時期同居していたアンドロイドの一人に話を聞く予定です」

「わかった。午前中のうちにデスク片づけないと」

「頑張って。しかしすでに物が…多いですね」

彼は呆れたように苦笑して、私の机を一瞥した。図星だったのでコナーのコメントを無視し、再びいそいそとデスクを整理し始める。

この騒がしいオフィスにも、少しずつ慣れていくしかない。──単独行動癖は変えてもらう。ファウラー警部の言葉を思い出して、来たる困難を想像してため息をついた。

(胎動)

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